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「最後の読書」

今日は週間朝日から依頼された「最後の読書」というテーマのエッセイを書いた。

人生最後に読む本の話である。

つらつらと考えるうちに蘇ってきた記憶がある。

まずはいわきに住んでいた祖父のことだ。

九十歳になって祖父が、これ、おもしろかったよ、と当時中学生だった私に文庫本をくれた。それは、オルコットの『若草物語』だった。正直、明治生まれで、すでに枯れ木のようになってしまった祖父がこんな「ジョセフィーン」だの「マーガレット」だのという女の子たちの物語を読んでいたのは、意外だった。その一、二年後に、祖父は他界した。晩年は、緑内障を患っていたのでほとんど目が見えなかったらしい。だから、もしかしたら『若草物語』は、祖父の「最後の読書」だったのかもしれない。

それにしても、祖父はいい勘をしていたと思う。私は、「若草物語」を心から愛した。というよりも、私は「母と娘」とか、「姉妹」とか、女ばかりの家族の話がとにかく好きなのだ。どうしてだろう? 実生活にいた私の父が、あまりにも変な人だったからかもしれない。

その変人の父の「最後に読書」は、イマイチはっきりはわからない。若い頃は本が好きだった父だが、入院中は何も読んでいなかったような気がする。

それでも、歴史好きの父のためにと、妹と私は「竜馬がゆく」の漫画版を全巻揃えて病院に持って行った。漫画はめちゃくちゃ面白くて、私も妹もすっかり夢中になって読んだ。当の父は読んでいなかった気もするが、龍馬の脱藩やら新撰組やら寺田屋事件といったバラバラとした質問には答えてくれていた。

たいていの質問には正確に答えられたので、ああ、本当に父は歴史に詳しいんだなあーと思ったものだ。私は大学受験も世界史だったし、妹は高校にもロクに行っていなかったので、二人とも大学まで出させてもらったのに、恥ずかしいいくらい日本史を知らなかった。だから、今度は司馬遼太郎の「龍馬をゆく」を全巻買って読んでみた。ある日、まだ入院中の父に何かくだらない質問をしたら「苦しくてもう答えられないよ」と小さな声で答えた。あの時のことを思い出すと、私も苦しいような申し訳ない気持ちになる。

私は、父の「最後の読書」を知らない。いや、それだけじゃなく、あまりにも多くのことを知らない。でもせめて、自分の記憶に残っている父のことは、少しずつどこかに書いていこうかなと思っている。

さて、私が人生最後に読む本は、やっぱり自分が一番好きな「ママ、アイラブユー」になる気がする。その詳しい話はまたエッセイで是非読んでもらえたらと思う。

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