
DIYで床はり、劇的ビフォーアフター(前編)
明日はいよいよDIYで実家のリビングの床貼り決行日! すっかりボロボロになっていた床ともお別れだが、あまりにもボロいので感傷は1ミリもない。早く来い、来い、劇的ビフォーアフター。 なんかこの一年間、DIYで家具を作ってきたことの集大成といった感じだが、この後の小屋作りの練習編でもある。 はっきり言って、ついこの間まで床はりのような大それたことをやるつもりは、あまりなかった。しかし、自分も手伝うから挑戦してみようと言ってくれたのは、建築家のタクちゃんだ。言い出しっぺらしく、床材へのアドバイスから、準備から明日の実際の作業までずっと伴走し続けてくれている。 それにしても、34平米分の床貼りを本当に1日でできるのだろうか? しかも、ドアの長さを切ったり、畳を底上げしたりと、けっこう難易度の高そうな作業がいっぱいある。 やり遂げられるかどうかは、もはやの謎でだが、私が通うDIYがっこうの人たちや友人たちもきて、総勢8名で臨むのでなんとかなるのかもしれない。DIYというよりも、DIT。Tは、Together!(みんな、ありがとうございます!) 選んだのは、
「最後の読書」
今日は週間朝日から依頼された「最後の読書」というテーマのエッセイを書いた。 人生最後に読む本の話である。 つらつらと考えるうちに蘇ってきた記憶がある。 まずはいわきに住んでいた祖父のことだ。 九十歳になって祖父が、これ、おもしろかったよ、と当時中学生だった私に文庫本をくれた。それは、オルコットの『若草物語』だった。正直、明治生まれで、すでに枯れ木のようになってしまった祖父がこんな「ジョセフィーン」だの「マーガレット」だのという女の子たちの物語を読んでいたのは、意外だった。その一、二年後に、祖父は他界した。晩年は、緑内障を患っていたのでほとんど目が見えなかったらしい。だから、もしかしたら『若草物語』は、祖父の「最後の読書」だったのかもしれない。 それにしても、祖父はいい勘をしていたと思う。私は、「若草物語」を心から愛した。というよりも、私は「母と娘」とか、「姉妹」とか、女ばかりの家族の話がとにかく好きなのだ。どうしてだろう? 実生活にいた私の父が、あまりにも変な人だったからかもしれない。 その変人の父の「最後に読書」は、イマイチはっきりはわからない