その日、私は……(その1)
人生で忘れがたい日というのは何度かあると思うのだけれど、今年の7月7日は間違いなくその一つだろう。もうなんというか、とてもとてもありがたいことに、書き下ろし作品『空をゆく巨人』が第16回開高健ノンフィクション賞を受賞したのである。
ここ二年ほど取材をしていた、あの物語。現代美術界のスーパースターである蔡國強さんといわきの会社経営者であり、いわき万本桜プロジェクトを進める志賀忠重さんの三十年の交流を追ったものだ。
「忘れがたい」などと言った後におおいに矛盾しているのだけれど、人というのはあっという間に物事のディテールを忘れるものだ(印象はあまり忘れないけど)。だから、今のうちに「あの日」のことを書き留めておきたくなった。
ちなみに、開高健ノンフィクション賞というのは未発表作品に与えられる賞である。だから、自ら募集要項に沿って応募しなければならない。それが、以前いただいた新田次郎文学賞とは最大の違いである。(新田次郎賞は前年に出版された幅広い作品の中から選ばれる)
どうして今さらながらに賞に応募したのかという理由はいくつもあるのだけれど、ひとつは自分のなかで目標が欲しかったことだ。今まで4冊の本を出版してきたわけだけれど、どの本もあっとい間に本屋さんで見なくなった。たまに見つけると、やったー!という感じ。
しかし、物書きとして身を立てていく以上、このまま漫然と満足してていて良いのだろうかという気持ちもあった。
せっかくなので、なにかそれまでの書き方や作風にこだわらないで、新しいことにチャレンジしたり、いままの自分から脱却してみたい。しかし、漠然と脱却するというのはよっぽど意志の強い人とか、すごい戦略家とかしかできない。自分は意思も戦略もない。それに物書きというのは、とても孤独な仕事である。コーチも指導者もパートナーももいない。自分のなかの何かを変えるために、なにか新しい目標が欲しくなり、賞に応募することを決意した。
もうひとつの理由(こちらの方が大きい)は、ものすごく心に惹かれるテーマに出会ったというものだ。志賀さんと蔡さんという強烈なキャラ、そしていわきにおける物語は、なんだか正体不明の強力な磁力があった。
話を聞いてると、「本当にそんなことあるのか!?」と思うようなことの連続で、とてもワクワクするのだ。
それまで私は、無名の人に光をあてることにこだわっていた。だから、自分が蔡さんのように有名な人に興味を持つなんてあまり自分らしくもなかった。ただ、そんなことはもはやどうでもよかった。とにかく惹かれる。それは、いわきは私の母の故郷だったからかもしれないし、蔡さんの故郷が中国だったからかもしれない。中国は、私が15歳で初めて訪れた外国なのである。
それから、足繁くいわきに通い話を聞くようになった。ただ話を聞くことが楽しかった。
「それで、それで? その次はどうなるんですか?」
ただ一冊の本を書こうと決意するまでには一年ほどの時間が必要だった。蔡さんと志賀さんという破天荒な生き方の二人をどう描いていいかよくわからなかったのだ。でも、いずれ誰かが書くならば自分が書きたい!という気持ちが湧きあがり、お二人にお願いして、執筆を開始した。
こうして、今年2月には、応募規定ギリギリの原稿用紙にして約500枚の原稿が書きあがり、無事に提出。最終候補作となる四作まで残っていると聞いたのは、5月ごろだっただろうか、あまりよく覚えていない。受賞作の発表は7月7日の午後4時半〜5時の間だと聞いていた。
こういうとき、どういう風に時間を過ごすのが良いのだろうか。
芥川賞などでは、よくどこかの場所で編集者と待機している、みたいなことも聞くけれど、そういう風にドキドキ緊張しながら待つ、というのは自分の性に合わない。
おりしも7月初めは、毎年家族で沖縄に行っている時期である。そこで、まあ、例年通りに、のんびりと沖縄で家族の時間を過ごしていようという方針に決まった。どんな結果であろうと大好きな沖縄にさえいえれば、自分は気分良くいられるような気がしたのだ。
まあ、自己防衛本能が働いたのだろう。
沖縄の中でも自分が特に好きな「久高島にいたい」と夫のイオくんに言うと「いいね!」ということになった。I君、私、娘の三人で沖縄本島でしばしのんびりし、久高島に向かったのは7月6日。
久高島は沖縄最大の聖地で、島のほとんどが熱帯ジャングルに覆われている。五年前にイオくんと数日間にわたり滞在し、とてもいい印象があった。島の人口は300人弱。車もほとんど走っておらず、カフェや喫茶店なども皆無で、あるものといえば郵便局に、小さな商店が2軒と食堂が3軒(そのうちで夜も開いているのは1軒だけ)。要するに、ととてつもなく静かな島なのだ。
私たちは民家を1つ借りきり、滞在することになった。こう書くと贅沢な感じだが、一人5千円というリーズナブルすぎる価格で、ささやかな贅沢である。部屋が5つもある大きな家で、庭もあり、明るくて気持ちがいい。庭先にはいつも猫が数匹たむろしていた。
さて、7月7日は雲ひとつない快晴だった。
午前中は自転車を2台借り、小さな島をめぐる。日差しは強く、すぐにヘトヘトになった。そして、お昼を食べてると、ビーチへ。
海のコンディションは最高だった。人がほとんどいないビーチで、波も穏やかで、すぐそこで無数の熱帯魚が見られる。
「ひゃー! すごーい」と私たちは大興奮。娘も初めて見た海の中の魚に大喜びし、私たちは2時間ほど休みなく泳ぎ続けていた。
しかし、3時をすぎるとさすがに私も落ち着かなくなった。
ああ、今頃東京では選考会が始まってるんだなあ……。もし受賞が決まると4時半〜5時には電話がかかってくると聞いていた。
せっかくなので、ちゃんと落ち着いた場所で電話を持っていたい。
イオくんと娘はまだきゃっきゃと楽しそうに砂遊びをしていたので、
「わたし先に戻って、シャワー浴びてるねー!」
と声をかけて、部屋に戻った。
宿に戻ってシャワーをし、水着を洗って庭に干していると、すでに4時。ちょうど、イオくんたちも戻ってきて、二人でお風呂場に向かった。
まだ時間があるので、二人の水着を洗って干す。物干し竿には見たことがないサイズのカマキリがくつろいでいた。
そこまでするともうやることはなく、部屋の畳の上にごろんと横になった。
「もうすぐだね。ちゃんとケータイを聞こえるようにしてあるの?」とイオくんが言うので、うん、といって再び確認。ちゃんと音は鳴るはずだ。
そうして、4時半に。
急速に落ち着かない気分になり、「ちょっと散歩してくる!」と言、私は宿を後にした。
散歩といっても本当に小さな島なので、あまり行けるところもなく、なんとなく船着き場の方に向かう。強い日差しの中で5分ほど歩くと、港が見える高台に到着。時計は4時45分を指していた。よし、ここはいいぞ。
ここにいようと決め、階段から海をぼおっと眺める。
かかってくるかなあ……。
ちなみに、新田次郎賞の時はこれ以上ないほど普通に過ごしていた。友人とご飯を食べていると知らない番号から着信があり、それが受賞の知らせだった。
あの時はどうせ取れっこないと思いこみ、まるで緊張していかなった。
それなのに、どうだろう、今回は緊張で体がこわばっている。たぶん自分で応募したからだろう。漫然と与えられるものと自分の欲するものは、まるで違うのだとその時に知った。
思えば、執筆の最後の数ヶ月はずっとほかの仕事を断り続けていた。最後は連日朝5時におき、自分のエネルギーと時間、集中力、そして相当なコストをこの取材に突っ込み、全力で書いていた。
それでも、別に自信はなかった。
どちらにせよ、あと数分で全てははっきりする。
電話、かかってこいー、と願いながら、海を睨んでいた。海はとても穏やかで、ここにいられることが幸せだった。
すると足が急にかゆくなってきた。
どうも蚊に刺されまくっているらしい。
ああ、いやだいやだいやだ。
なんでこんなときに蚊なんだよ、と文句をつぶやきながら、仕方なく立ち上がり、なんとなく自動販売機の方に向かった。喉がカラカラだった。
千円札を自動販売機に入れようとするものの、うまく入っていかない。自販までそっぽを向いてるなんてひどい。ああ、いやいやだいやだ。
時計はすでに5時をまわっているではないか。
ああ、ダメだったんだな……。
そう思いながら、自動販売機に千円札を入れようと奮闘。やっぱりうまくいかない。
携帯を取り出してイオくんにLineを送った。
<かかってこない・・・ダメだったかも>
するとすぐに返信がくる。きっと彼も待っているのだ。
<(選考が)白熱しているのかもしれないよ。まだわからん!>
携帯は5時10分を表示していた。
ああ、もう完全にダメだ……と思いながら、私は他の自動販売機を探そうと歩き始めたその瞬間に電話がなった。
電話に出ると、受賞の知らせだった。
ほんとですか……と言ったきり言葉がでなかった。
たぶん少し泣いていたと思う。
何かが胸に溢れてきて、言葉にならなかった。
イオくんに電話をしようかと思ったが、直接伝えたいと思い、宿に戻ろうと歩き始めた。しかし、頭が混乱しているようで、曲がる道を間違えてしまい、なかなかたどりつけない。
集落をぐるぐるし、ようやく家をみつけ、引き戸をあけると、娘は昼寝をしていて、イオくんも畳の上でゴロゴロしていた。優しい風景だった。
「どうだった?」
イオ君がさりげなく聞く。
玄関で靴を脱ぎながら、「うん、受賞したみたい」と小さく答えた。
イオくんはパンと跳ね起き、一気に半泣きになりなった。
「ほんと!すごいね、すごいねー!!! 本当にすごいね、よかったねー!!」
私はまだ信じることができず、「ねえ、本当に受賞できたのかな? 私が勘違いしていたらどうしよう」と繰り返した。
「ちゃんと聞いたんでしょ?大丈夫だよ」
「うん、聞いたと思うんだけど、どうしよう、私の勘違いだったら」
そんな会話をひたすら繰り返しているうちに、なぜか携帯の画面に茂木健一郎さんのツイッターが映し出された。茂木さんが私のアカウントを入れて何かを呟いたらしい。
<第16回開高健ノンフィクション賞は川内有緒有緒さんの『空をゆく巨人』に決定いたしました。おめでとうございます!>
その直後から突然リツイートのお知らせが続々と入り、携帯が電子音を発し続けた。
ひえー!!!
ほ、ほんとだったみたい!
私は半分パニックになりながら、携帯電話を眺めていた。
<続く>